2022年3月7日月曜日

東海自然歩道を行く 1 箕面~忍頂寺

 2022年-03月-05日


青春18きっぷ利用

多屋5:49++6:13太田川6:17++6:30金山6:39++7:19大垣7:25++8:00米原8:18++9:43大阪…大阪梅田10:00++10:15石橋阪大前10:20++10:26箕面…11:23箕面大滝…12:00箕面ビジターセンター…13:06開成皇子の墓…13:55北摂霊園…15:06素盞鳴尊神社(スサノオノミコトジンジャ)…15:43上音羽…16:15忍頂寺BS16:30==17:13JR茨木駅17:37++17:44高槻17:47++18:58米原19:05++20:16金山20:35++21:01常滑


東海自然歩道をいよいよスタートする。


箕面駅にあるモニュメント。

箕面の滝までは観光地ムードで茶屋の点在する沢沿いの道。
名物紅葉天ぷらをお土産に購入。

箕面の大滝まで観光客でにぎわう道。




箕面の森ビジターセンターは付近の里山の生き物や植物の展示が多数。



東海自然歩道出発起点の石碑が立っている。

山中に立つ開成皇子の墓



北摂霊園は大阪府民の共同墓地らしく莫大な敷地


湧き水 


素盞鳴尊神社(スサノオノミコトジンジャ)ここの手前でルートミスでコースアウトしてしまって車道を歩いてしまった。


上音羽鋭角屈曲点ルートを間違えそう

忍頂寺交差点


忍頂寺バス停で迷う。茨木駅行バス停はガソリンスタンドの向こう側にある、看板のないバス待合所で、交差点にあるバス停は間違い。


平面距離   15.8km 沿面距離   16.0km 記録時間    05:30:51

最低高度   108m 最高高度   600m

累計高度(+) 1,225m 累計高度(-) 1,018m

平均速度    2.9km/h 最高速度    15km/h

消費カロリー 2622kcal



2022年2月26日土曜日

東海自然歩道を行く プレリュード

  高校時代からデスクプランとなって実現してなかった、東海自然歩道踏破の夢から時の経つこと45年。やはり心残りなので、63歳になった今年から始めることにした。
 基本的に公共交通機関利用で頑張ってみる。青春18きっぷ利用期間が主な日程になるようにしたい。

 東京八王子と大阪・箕面を結ぶ1都8県2府に及ぶ全長1697.2kmの自然歩道ということで、東海道新幹線なら360kmぐらいだが、その5倍ぐらいある。標高も1000mほどの登山道もあるようだ。どのくらいの期間かかるかわからないが、登山の合間に始めてみようと思う。かなりの長期間になりそうで、ゆくゆくはこちらが主体となりそうな予感もある。

 どうなることやら・・・。2022年現在、関東地方は自然災害による道の復旧作業中で通行止めが多く、箕面からスタートするプランで考えてみた。

 参考文献

 


山行サイト
東海自然歩道連絡協会

2021年1月23日土曜日

コロナの時期の放浪癖をなんとかした。

 新型コロナウイルスの拡散から1年余り、夏に石垣島に女房といったものの年が明けてからは日帰り登山以外はステイホームを守っている。

生来きっての放浪癖の虫が湧いてきて列車でふらりと出かけようと思うも、次女の出産の里帰り中で孫への感染リスクで躊躇する日々が続いている。
なんという家族思いの家長だろうか(死語か(笑))

そこで思いついたのが、気分だけは放浪雰囲気を味わおうと、心は北海道新幹線函館北斗駅としながら自宅でその味を堪能する。

半田のピアゴで駅弁フェアに出かけてみた。こういったスーパーの駅弁大会は以前からあったがここのところご無沙汰で、20年ぐらいぶりの買いだしであろうか。

時刻は午前11時40分、すでに人気の駅弁は完売状態。このイベント商法もまだまだ人気があるんですね。

最近は大手スーパーもインターネットでネットチラシなるwebで見える広告を出しているので、早速、娘と女房と私の3人でネットで品定め。

娘の駅弁:「新函館北斗駅 いくらめし和膳 ¥1158」「吉田屋」

娘の感想:★★★★☆
ほぐしサバの味噌煮が絶品
お惣菜の味付けがいいので白飯があってもいいのでは。



女房の駅弁:「神奈川県小田原駅 金目鯛西京焼弁当 ¥880」「東華軒」
女房の感想:★★★☆☆
野菜の味付けは最高。ご飯は味ご飯風味でおいしかった。
金目鯛はもう少し柔らかいとよかった。
筆者注釈:なぜにこの人だけ小田原?食す見た目優先かも(笑)





私の駅弁:「新函館北斗駅 牛ステーキとあわびとかきの鉄板焼き弁当 ¥1371」「吉田屋」
私の感想:★★★★☆
駅弁の特性上暖かくはないけど牛肉は柔らかく、ソースもすごくおいしく、絶品。
アワビはこりこりでこれも歯ごたえが良くおいしい。
カキはまあこんなもんです。
でも高級感のある満足できる駅弁です。

この駅弁シリーズ、当面企画化しても面白いかも。
気分が乗ったら継続します。
次回はリアル駅で駅弁買って、車内で食します!



2017年8月9日水曜日

労作性狭心症を発症した。

病室から見た鈴鹿山脈、鎌ヶ岳、御在所岳、雨乞岳・・・・。
いつかまたあの尾根へ。

まずは、簡単な経過を・・・・。

思い起こすに2015年ごろから単独登山でガンガン登るような山で、息も絶え絶えになり途中敗退がちょくちょくあった。
はっきり覚えているのが2016年9月1日単独で小渋川から赤石岳を目指し、広河原小屋で沢装備をデポしてGPSで地形図の破線を確認しながら行くと廃道になっているのか地形図が間違っているのか急斜面のやぶこぎに突入してしまった。何とか尾根上のはっきりした登山道に上がるも標高差350mほど登ったところで息も絶え絶えとなってダウン。
装備はテント泊装備15kgぐらいだろうか。登山道で横になって呼吸を整えるも眠くなってきて、ここで幕営しようかと思うほどだった。
20分ほどで体調が回復したので大聖寺平までの850mの急登をあきらめその日のうちに小渋川を下って帰路に就いた。

次に大きな症状が出たのは2017年4月23日御在所岳中道にて、この日は山岳会の研修山行でスタッフとして参加。ほぼ初心者のチームの仕上げの山行。
最後尾から歩き出すもおばれ岩あたりで付いていけなくなった。スタッフなので休憩を指示して体調を整えだましだまし行こうとするも、キレットを越えるあたりで完全に呼吸困難に陥り先に行ってもらうことにした。またしても眠気が襲ってくる。
15分ぐらいだろうか、登山道の脇で横になって呼吸を整える、行きかう登山者が「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれる。意識はあるので受け答えをするのだが、体がいうことを聞かない。
先行したスタッフの内藤さんが心配して迎えに来てくれた。体調が戻ったのでゆっくり登ってなんとか朝陽台までたどり着くと顔面真っ青でフラフラ状態になっていた。
スタッフに詫びてロープウェイで下山。ロープウェイ駅の乗り場のベンチで爆睡。下山チームと合流して帰名。
このころは高血圧の薬の副作用なんてたかをくくっていたのだが・・・・・。

こういった症状が頻繁になってきたので、おかしいと思う。
6月ごろ喉の奥のほうに重い痛みを感じるので呼吸器内科に通院。血液検査、レントゲンともに異常なし。
喉の下のほうに鈍痛が続く。家の階段を登るのに息切れが出てくる。
2017年7月20日朝、喉が詰まったような重い痛みが出たので仕事場の机に上体をかがみこんでいると吐き気がしてきた。
家の近くに循環器内科が開業したので受診する。
心電図、レントゲンともに異常なしだったが、念のため負荷心電図を取ってみるとのこと、早速午後から自転車のマシンを漕いで心電図を取った。
結果は「心電図の画像に狭心症の症状が出ています・」とのドクターの宣言。市民病院でCTの検査をしてみた都合ではっきりとした病名として狭心症が確信できるというので、早速その医院から予約した。
7月24日、紹介状を書いてもらって持参して市民病院循環器内科外来へ優しそうなドクターに容態を話してCT検査室へ、心臓のCTに使う造影剤は胸から足先までカーッと熱さが移動していってびっくりした。結果を1週間ぐらいで開業医の先生に送るというので、この時点ではそう大変なことになるとは思ってはいなかったのだが。
翌7月25日夕刻、かかりつけの開業医院から電話がかかってくる。たいそう早い電話連絡だったので覚悟してその日のうちに、医院へ話を聞きに行った。
ドクターの宣告が待っていた。
「労作性狭心症です。登山はドクターストップです。」「病院で処置が必要です。入院となるでしょう。」
全身の力が抜けた。その晩のうちに悲しくもすべての登山の計画の中止連絡をした。夏山も研修山行のスタッフも。
調べてみると心筋梗塞に発展することもあり、日本人の死因のガンについで第2位である。
なおかつ登山における3大死因「滑落による外傷」「低体温症」「虚血性心疾患」←コレ ではないか。まさか自分が!の境地だ。

左冠動脈の分岐に狭窄があり、その先にも狭窄があるとのこと。
ドクターも私の年齢とか心臓本体の状況とかいろいろ考えて処置の方法を選択してくれるようだ。
大きな症状はないが、大動脈弁閉鎖不全症も発症が確認された。

7月27日市民病院で妻同伴で正式にCTの結果の話を聞く。カテーテル検査をしてその都合でステントを入れれば入れるとの説明。左冠動脈の分岐なのでステント処置がむつかしいとの説明も受けた。

7月31日朝入院 午後2時からカテーテル検査、右手首動脈からカテーテルを挿入。検査のみで終わった。夕刻ドクターから説明があり、今後の治療方針と次回の入院手術の日程を決める。
7/31夕食
8月1日 退院 結局検査入院で今回は終了。

8月7日 再入院 午後13:30よりカテーテル手術。同じ右手首動脈から挿入。血管内の状況からステントは埋め込まずバルーン治療となった。冠動脈インターベンションというらしい。
心臓を取り巻くように張りついている動脈を内側から風船を使って膨らませて血流を回復させるのだが、膨らませるときは一時的に血流が止まることになるので、狭心症の発作と同じ状態になるのがわかった。要するに喉の奥から胸にかけて重く締められるような痛みが出現して、苦しくなってくる。
手術室の(正確にはアンギオ室)スタッフがバルーンを膨らませている間の秒数をドクターに告げる。10秒、20秒、30秒。将棋の番組のようだ。秒数が進むにつれて苦しさが増す。
「ウウッ、先生、登山中で出た症状と同じです。」局部麻酔なので頭脳は明晰で、全く同じ症状が出たので自分としても狭心症だったと確信した瞬間だった。
狭心症は胸が締め付けられるとか言われるようだが、自分の症状は喉の奥下、胸あたりに鈍痛がでる症状だったのだ。
3~4か所ぐらい膨らませたようで1時間30分ほどで手術は終了。
8/8夕食
大事を取って1日余分に入院した。
8月9日退院。半年間は登山はドクターストップだと宣告された。





手首動脈の傷口 上は1回目の検査時、下は2回目のバルーン処置時、ここから心臓までカテーテルを挿入していった。

現在処方されている薬
バイアスピリン錠100mg
エフィエント錠3.75mg
ランソプラゾールOD錠15mg
アトルバスタチン錠10mg
アジルバ錠20mg
硝酸イソソルビドテープ40mg

半年後に再カテーテル検査するらしい。嫌だけどしょうがない。
人生の転機かもしれない。復活するのか、違う新しい方向で生きがいを見出すのか。まあいろいろ考えたってしかたがないので、少しばかり能動的な行動は慎んで受動的な生き方にシフトしようと思う。
負荷をつけた運動は今は正直怖い。とにかくドクターの指示をしっかり守ろうと思う。
今思えば発症の予兆は何度もあった。病気と付き合いながらの生活をこれからブログで少しずつ自分史としてまとめて行こうかなと思っている。
どうなることやら。

2017年3月3日金曜日

2017/02/25谷川岳

谷川岳遠征は名駅裏のS木屋での作戦会議から始まった。 前年名駅から10人乗りレンタカーを駆使したものの、関越自動車道で東京へと帰宅するスキーヤーの大渋滞に突っ込んで群馬県を抜けるのに3時間もかかってしまい、名古屋到着は0時を過ぎ、解散後の会員の帰宅経路が閉ざされてしまうという名古屋駅での大量遭難というここ数年来ふわくではなかった事態が発生してしまった反省から、往復夜行バスというこれまた思い切ったアクセスを画策してしまうのであった。  作戦会議は2641,3028,3031の3名。ところがバイトの店員の2度にわたる酒の注文ミスで我々としては一番大事な注文にケチがついて、作戦会議もそこそこに店を立った。この時点で某氏は5合を超え、夜行バスのために最後の水一杯で睡眠導入剤を飲まれたようだ。  集合場所に到着するとすでにメンバー全員の顔がそろっている。  挨拶もそこそこにバス乗り場へと向かう。大阪始発群馬行きというマニアックな日本中央バスは三列独立リクライニングシートで毛布付きだった。  金山に停車後某氏は爆睡。3028氏はネックピラー持参で万全の体制である。これは夜行バスには必携品だと思う。  翌朝新前橋に到着。メンバーは全員元気に朝を迎えたようだ。まずは第一関門突破である・・・が、某氏の目が開かない。「飲みすぎだわ!」との声に心配がよぎるがどうも睡眠導入剤の効きすぎだとあとで判明するのである。  新前橋から水上へとJRで向かう。鉄オタの3291氏はしきりに列車の写真を撮っている。向かい側のホームに豪華なお座敷列車が止まっている。珍しいものを見させてもらった。  列車はスキーヤーやボーダーや観光客でほぼ満員状態。水上からのバスに乗れるか心配だったがほとんどが越後湯沢方面へと向かう客だった。某氏はまだ寝ている。  バスもほぼ満員で出発。某氏もこのあたりから復調(ホッ!)3291氏は土合のモグラ駅が気になってしょうがないみたいである。 谷川岳はご存知のとおりギネスブックに載っている山で一山としては世界で最も遭難死者数の多い山である。その数800人の命を飲み込んだ山なのである。(昭和6年~平成24年)  かつてはこの土合の地下駅の階段を何かに取りつかれるように歩いて谷川岳に向かう風景を思うと緊張感が高ぶってくるのだ。  ほとんどが一ノ倉沢あたりのクライミング事故で、戦前あたりの装備技術よりはかなりよくなった結果最近では死者数は激減しているようだ。  特に厳冬期は群馬県谷川岳遭難防止条例により登山禁止区域が設定され、一般登山者の入山は天神尾根と西黒尾根ルートに限られている。  さて前置きが長くなってしまった。  いよいよロープウェイで一気に天神平へ上がる。右手に見える真っ白な谷川岳はトマノ耳、オキノ耳をそろえた双耳峰なのだが、青空輝く背景に山頂だけ真っ白な雲がかかってしまって残念ながら見えない。アイゼンを装着してスキー場の右手斜面を直登する。先行者はいるものの、軽いラッセル状態で先頭を行く。背負ったスノーシューが重い。こんなもの置いておけばよかった(といつも後で思うのだ)  昨年より多雪で4mの積雪の斜面を踏みしめて登る。メンバーの息が上がる。この時点では無風快晴。あぢ~。ヒイヒイ言いながら結局最後までトップで稜線にたどり着いた。  稜線上はアリの行列のように先行者が見えている。さすがに人気の山だ。  稜線上はまだ森林限界を越えていない。1か所いやらしく、悪い状況によってはロープを出さねばならないかなと思っていた地点も今年は多雪で足幅程度のトラバースを数歩で越えられた。  メンバー全員快調に歩く。今回は動画作成ということで監督があっち行ったりこっち行ったりでその都度カメラ目線になったりして笑い声が飛び交う。  行程は熊穴沢避難小屋に到着した。4mの積雪は小屋を埋め尽くし屋根上のまっすぐ伸びた鉄骨だけが数十センチ見えるだけだ。入口へと掘られた穴があるがそこへはやはり4mほど。「下りるが上がれん」そう呟きながら雪深さに改めて驚くのだ。 ここで全員にピッケル装備を告げる。尾根はさほど狭くはないが転倒したはずみで持っていかれる可能性がある。安全第一だ。 風が強くなってきた。バラクラバを鼻まであげる。天神平とは打って変わった気候になってきた。雪もちらついてきた。急登急登でペースが上がらない。その分1団となってパーティーとしては良いといえば良いのだが、いかんせんペースが上がらない。 ロープウェイ最終発車時刻16:30天神平がタイムリミットなのでそれが気になりだした。上を見上げるもいまだ山頂は雲の中、肩の小屋さえ見えない。急登ホワイトアウト気味の同じような景色をただ単に両足を交互に上にあげる動作の繰り返しになってきた。スノーシューなんかおいてこればよかった。何回思ったことか。 天狗岩の岩塊が見えてきた。先行パーティーが休憩している。時計を見ると11:30。肩の小屋まで行きたかったのだが先行パーティーにつられる形でここで昼食とした。 天狗岩の陰に隠れる形で風をよける。手袋等風で飛ばされたらアウトだ。そういえば最近巷で流行のテムレスをはめている人もいる。デザインがもう少し良ければもっと売れるだろうがまさかメーカーも登山で使うとは思っていなかったのだろう。 寒い!休憩が長引くと冷えるので食事もそこそこに出発する。厳冬期は基本行動食というやつです。 肩の小屋が見えた。雪が多すぎて下から見えなかったようだ。側面にたっぷり雪や氷がついている反対側の側面は風で吹き飛ばされるのか雪はほとんどない。ここまで来ればトマノ耳はいただいたようなものである。 一か所クレバス状に雪面が割れたところを横断する。ずぼっと行くと数メートルは落ちそうな感じで緊張した。はまっちゃった人数人。私の体重で歩いたところを歩けばいいのにほかのところを歩くからこういうことになるのだ。 それにしても展望が効かない。ここからが谷川岳のクライマックスの景色なのに・・・。 広い斜面を上がるとトマノ耳の標柱。ここでとりあえずはメンバーと握手&ハイタッチ。 さて、ここからオキノ耳へと向かう。トマノ耳~オキノ耳は雪庇の発達で有名。この景色を見るために登るようなものである。今日はというと雪庇すら見えないほどの真っ白け。東側に雪庇があるので寄りすぎないように、岩塊を巻いたり越えたりして15分ほどでオキノ耳に到着。 ここからトマノ耳を振り返る景色がよく雑誌にも載る景色なのだが残念だなぁと思っているとほんの2秒ほどトマノ耳までの巨大な雪庇を携えた稜線が姿を現してくれた。シャッターチャンスもないまま、夢のような幻影とも思えるような景色を目に焼き付けて下山を開始。 マナイタグラ、白毛門、武尊山、新潟方面の白く輝く山々を堪能して、こんな急登を登っていたのだと感心しながらガンガン下って天神平に15:30到着。 バスで水上へ戻り公設の風呂屋で温泉に浸る。寂れかかった温泉街の中華料理屋「雪松」でふわく恒例の反省会 ビール、料理、散々飲み食いして盛り上がり、ほとんどバイキング状態でおひとり様1500円。絶対会計間違ってるとおもいつつ、全員ニコニコでJRにて新前橋へ。 再び夜行バスに乗車。気が付けば「名古屋に到着します」のアナウンスで目が覚めた。 山頂での展望には恵まれなかったものの、すばらしきメンバーに恵まれ無事谷川岳に弾丸登頂することができました。ありがとうございました。 部長さんの粋な計らいにより動画も作成していただき、2度3度楽しめる山行になりました。重ねてお礼申し上げます。 さて、来年の谷川岳のニーズはあるのだろうか?

2016年10月2日日曜日

【百名山】幌尻岳

【日 付】2016年9月10日(土)~12日(月)
【山 域】日高山脈 幌尻岳
【天 候】曇りのち晴れ

【メンバー】11名
【コース】
   9/10セントレア7:10>>8:55新千歳空港==とよぬか山荘12:00==13:00第2ゲート…15:30北海道電力取水口…20:15幌尻山荘(泊)


   9/11 幌尻山荘6:15…8:10命の水…10:45幌尻岳12:00…13:40命の水…15:10幌尻山荘(泊)


   9/12 幌尻山荘4:00…7:00北海道電力取水口…10:00第2ゲート…12:00とよぬか山荘==17:30新千歳空港19:20>>21:20セントレア



  自分としては10年程前に訪れている山で雨だった登山のリベンジとしても気になっていた山だった。
 企画はしたものの、慢性金欠病の自分としてはアクセスをLCCに依存する選択肢しかなく。このオーダーがただでさえ登山というリスクのある遊びの中で、キャンセル料100%というさらなる経済的リスクを負うことになった。
 おりしも7月からの北海道は次から次へと台風が押し寄せ、トムラウシ、雌阿寒などへのアクセスはズタズタになってしまった。

 幌尻へのアクセスはというと、台風10号など8月から4連発の台風の影響で幌尻山荘への前線基地とよぬか山荘からのシャトルバスは台風13号の影響で運行するかどうかわからない。予想進路は9/10に北海道に最も近づく予報であった。


 9月に入ってからとよぬか山荘のHPを毎日チェック。モチベーションがどんどん下がってくる。シャトルバスの運休が7/28~31、8/17~9/5登山シーズンのほとんどを入山規制となって、やっと9/5~運行再開となったところへ台風13号の発生でどうなることかと思っていたら、9/9にシャトルバスが糠平川流量増加のため運休となった。

 こうなってくると、天気予報や進路や参加予定者への連絡やJETSTARキャンセル料の回避のための転進先として後方羊蹄山の調査やら精神的にもかなり追い込まれてくる。
 もう一つの代案であった新冠コースからの幌尻岳も林道崩壊で歩行者さえも通行止めと判明している。


 セントレア早朝集合のため参加者数名に大野町の老舗旅館(とはいっても寂れてしまった常滑市内では格安旅館)に泊まってもらった。そのメンバーに前夜自分が顔を出して明日以降の予定を告げる。

訓練山行で愛知川遡行を催行したときスズメバチの被害にあったF沢さんに容体を聞く、同症の自分としてはちょっと心配。


 とにかく明日以降の流動的な行程を天に任せ、山行の無事終了を祈って床についた。その夜のとよぬか山荘の新着情報は以下の通り。


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【2016年9月9日】

9/10(土)の1便(4:00発)まで運休とし、その後は明日9/10の朝6:00頃判断することとなりました。

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翌9/10(土)集合時刻6:10から30分早めに中部国際空港駅改札出口にてメンバーを待つ。

時を待たずして10分ほど前には全員集合してくれた。チェックインもすんなり済ませ受託荷物の手続きもあっさりと終わった。、保安検査を経て出発ロビーでスマホからとよぬか山荘のニュースをを確認した。


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 【2016年9月10日】


2便7:00発~バス運行再開します。


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メンバーに内容を告げると歓声が沸き上がった。我々の利用便は第4便12時発であった。

とりあえず、幌尻山荘までの行程がつながったことになる。


新千歳空港にほぼ定刻に着陸。タイムズレンタカーのカウンターで手続きを済ませ、一路とよぬか山荘へと車を走らせる。U川さんとの2台でのアクセスとなった。

とよぬか山荘はかつての小中学校跡で校舎が宿舎となっている。12時少し前についてシャトルバスを待った。






北電取水口


やってきたバスは泥だらけのマイクロバス。

それを見ただけで林道の状況がわかるというものだ。

途中から見る糠平川本流は泥水を含んだ茶色い水が堂々と流れている。不安がよぎる。果た

して遡行できるのだろうか。

シャトルバスに乗車したのは我々と男性登山者1名の合計12名。やはりキャンセルがあったの

か思ったよりも少ない人数だ。

13:00、第2ゲート到着。準備をして歩き始める。時折小雨がぱらつき、雨具を脱いだり、着たり

の林道歩きとなった。

第一便以前は運休なので入山している人もなく、すれ違う人もいない。

ところどころ林道修復の工事車両をやり過ごしたりユンボの脇を通ったりして15:30に北海道電力の取水口に到着した。林道はここで終わり、ここから登山道となる



 糠平川の右岸に付けられた登山道を少し進むと、登山道が消失したように見えた。

 よく見るとゴウゴウと流れる水の15m先の右岸壁に鎖がトラバースさせてあった。

 その鎖まで水面から3mほどの位置の壁をトラバースせねばならなかった。水量と激流の水音でメンバーの顔がこわばる。落水すれば勢いよく流されるのは必至だ。

 ここで初めてロープを張った。簡易ハーネスを120cmシュリンゲで作ってもらい、中間支点を一か所設置して掛け替えで通過する。

 慣れないこともあり全員が通過するのにかなりの時間を要したが、無事通過できて、ほっとする。






 いよいよ渡渉が始まった。水量も多いし流れも速い。足を取られそうになりながらもバランスを取って対岸へ渡り、ロープを設置。

 既に沢装束になって準備万端のメンバーにカラビナをかけて渡渉してもらう、何度も何度もバランスを崩しロープにテンションがかかる。

 安全第一でほぼすべての渡渉にロープを張った。それぐらいしないと流されそうな状況だったのである。




 セルフビレイと肩がらみでのU川さん。

 時には腰までの渡渉。水流に負けそうになる。





 こんな感じで渡渉を10回ほど繰り返しているうちに、もう日が暮れてきた。渡渉開始から2時間で小屋到着の予定がすでにその時刻も過ぎて時計は18時30分を回った。

 おおよその渡渉点は進んでいる側の岸が立ってくるとペンキマークや蛍光テープが現れる。前方に高まくような踏み跡がなければそこが渡渉点だ。とはいっても今日の渡渉は渡る場所を選ばないと胸までつかることになる。

 全員のヘッドランプを水面に投影する、浅そうで流れのましな場所を探りながらトップで渡る。もちろんロープを引っ張っての渡渉だ。

 メンバーを励ましながら、渡る人と水面を全員で照らす。ロープを張らなければ流された場合もう見つけられないと思うと時間がかかってもロープをすべての渡渉で張ることにした。

 メンバーの不安をぬぐうために、GPSの画面を提示した。幌尻山荘まであと1kmだ。このGPSにどれほど助けられたか。

 メンバーの様子は体が冷えつつある人もいたようだが、あと少しと励ましながらビバークするよりも前進だと決意する。見覚えのあるゴルジュ状の場所の渡渉にかかった。以前来た時は胸までの渡渉だった。

10年以上前の記憶であったがやはり胸までつかりながらの渡渉。確保しているロープにも力が入る。GPSを見るとあと500m。時刻は19時40分だった。

 やがて岸から離れるように登山道が現れる。この道が幌尻山荘まで続いてくれと祈る。

 GPSを見る、あと50m。小屋の灯りが見えた。ホッとした。後方で歓声があがる。最後に小屋直前での渡渉。ここも流れがきつかった。

 幌尻山荘到着20:10。小屋のドアを開ける。小屋番に心配をかけたことを詫びる。北電取水口からコースタイムの倍の時間をかけて小屋に着いたことになった。

 小屋はすでに就寝時刻を過ぎていたが、夜間にお湯を沸かしておいてくれた。小屋番の気づかいに感謝。

凍えた体に暖かいお湯はありがたかった。

 小屋の外で遅い食事をとり、着替えて1階をほぼ貸し切り状態でシュラフに潜り込む。横になれば、安堵感のせいかすぐに深い眠りについた。


 2016/9/11

 小屋の朝は早い。4時ごろから出発していく登山者の物音に起こされる。






幌尻山荘





小屋前で朝食

 天気はまずまず。濡れたものを干して6:15に小屋を出発する。

 小屋の右手奥あたりが登山口で最初から急登で支尾根へと目指す。



 

2時間ほどで命の水分岐。





1740mのピークに乗ると、北カールをはさんで幌尻岳の雄大な山容が現れた。




体積の大きい山だ。

雄大なカールにはエゾジカが駆けていくのが見える。















このカールを右から回り込むように尾根を山頂へと向かう。


70歳のH本さんが遅れだしてきた。ここまで頑張ってきたのでなんとか山頂を一緒に踏みたい。

彼女は今回の幌尻岳が日本百名山の百番目の山なのだ。

もっと早くにここを済ませばよかったのに、なぜか最難関の幌尻を残してしまったのだ。

他のメンバーに先に行ってもらって、遅れて二人で歩を進める。







山頂表示板が見えてきた。他のメンバーが拍手と歓声で迎えた。

「泣けてきちゃう・・・。」彼女の目から涙があふれた。
昨日からの苦労もあって、山頂をみんなで踏めたのは実に感慨深いものがあった。


戸蔦別岳や七つ沼カールに未練を残しつつも下山にかかる。





戸蔦別岳への稜線を見ながら途中命の水でのどを潤しガンガン下った。


 小屋には15:10着。M崎さん、S田さん、が準備してくれたうどんで舌鼓。700円の缶ビールを飲んでる人もいるけど、飲んでいるのは少数派。アルコールもそこそこにおいしい食事を済ませた。やはり共同食は楽しいもので山行中1回はしたいものである。女性陣に感謝です。昨夜とは違って余裕の就寝となる。ただ明日の渡渉を考えて出発時刻を4時に早めた。


2016/09/12


 10日の渡渉に5時間もかかってしまっていたので、第2ゲートからとよぬか山荘へ向かう11時のバスに乗るにはその後の林道歩き2時間を加算して7時間と考えると4時出発となった。 出発時にはメンバーの口数が少ない。またあの渡渉を思うと気持ちが重いのだろうか。 ふと空を見上げると満天の星空。スバルも見える。久しぶりのスバルに「昴だ!」とテンションを上げようとするが、乗ってきてくれたのはT村さんぐらいだった。 小屋下の渡渉、若干水量は減ったものの油断すると一歩を持っていかれそうな水流であった。 この渡渉を済ますとしばらくはまともな登山道が続く。 次第に夜が明けてきた。メンバーも慣れてきたようで渡渉の要領も良く、1回の渡渉にかかる時間も短いようで、渡渉を楽しんでいるようにも見えてきた、ずいぶんと余裕が出てきたものだ。









 


計算していた時間より2時間ほど早く、7:00に北電の取水口に到着した。


 すごい時間の短縮ができた。慣れと水量の減少もあったのだろうが何といってもメンバーの気合の賜物だろう。


 強いメンバーが弱いメンバーについてペアでフォローしてくれたのも大きな要因であり、感謝感謝の一言に尽きる。


取水口で装備を解除して一般登山道仕様に変換。




林道歩きの2時間は余韻を楽しんだり、すれ違う登山者に情報提供したりで長い道のりもあっという間の時間だった。


バスに乗車まで1時間ほどの余裕の到着だった。


バスに乗車してひと眠りの後とよぬか山荘に着いた。数人が記念のTシャツを購入。僕も買っておけばよかったと後悔。

台風後の増水とアクセスの不安だらけの山行になったが、本当にメンバーに恵まれた楽しい山行の思い出となった。

メンバーに感謝の一言に尽きる。

このメンバーでいつの日かまた行ける日を夢見ている。

2014年7月5日土曜日

知多半島の里山を行く。(南知多町内海四天王 )

 愛知県最大の海水浴場で知られる、南知多町内海には江戸時代末期に設けられたという内海の集落を四方から守る四天王が祀ってある。

 内海の町を中心に東西南北の里山に石像が祀ってあるというのだ。

 今日は自転車に乗って自宅を出発。里山を自転車で越えようという魂胆だ。

 まずは名鉄内海駅へと向かう。南風の吹く知多半島を南下するので大変なようだが、電動アシストのおかげで快調に飛ばすことができた。

 内海駅についてから内海中学校の脇を通って、北の多聞天が祀ってある持宝院方面に向かう。持宝院の寺には入らずに大きな寺の名前の書いた石柱の場所を左に進み、舗装された道の坂を上がるとじきに指導標が現れた。この指導標は手作りでなかなか趣があってよい。
この四天王を史跡として保存に尽力されている「きずなの会」の世話人の製作だろう。
 道は細い地道になり、ひとのぼりで多聞天の石像が現れた。

北の多聞天

  今日の安全登山を祈念して山を下りて東へ向かう。
  田んぼや小川のほとりのまっすぐな脇道をひたすら東へと向かう。
  ログハウスの喫茶店の右を山に向かう道があるので、向かっていくと小さい分かれ道にまたも手作りの道標が現れた。
途中に廃屋とか壊れた炭焼き小屋だろうか、そんなものが突然現れてびっくりさせられる。
炭焼き小屋は廃墟
女性の独り歩きには向かないような道だが、路面の状態は湿っぽいが格段に悪いという感じはしない。
 そんな壊れた炭焼き小屋の隣の小尾根のさきに、東方を守る持国天が祀られていた。


東の持国天
さて、一旦ログハウスのところまで戻り、どうしようかと思案する。
 このまま周りが田んぼだらけの内福寺川沿いの広い舗装道を街中まで戻って、利屋あたりから南の増長天を目指すのが早くて簡単だが、どうも普段のバリエーション魂がうずきだしてしまった。

 地形図を見れば、おそらく廃道に近いであろう里山の山中にあるいくつもの実線をたどって、なんとか西村あたりにたどり着き、そこから高峰山の北側に向かえないものかと自転車をこいだ。
 地形図を見れば山中に神社の地図マーク。結果的にはログハウスの喫茶店近くの神社の向かい側からコンクリート舗装の軽トラックがやっと走れるほどの山道に取りついた。

 この山道は、美濃や鈴鹿の林道のようで、本当にここは知多半島にいるのかと思わせる。内海の里山は結構山深い感じをさせる。
 山中の頂上あたりに祀られた神社マークの社で道を失う。地形図では道があるはずだが道型もなくうっそうと木が生えてしまっている。
 仕方がないのでいったん戻って別の道を見つける。西村方面へ行けばいいはずなので方向を確かめながら自転車を進めると道標が出てきた。ホッ!


 さっきの神社は熊野社だったのかな。
 ここで再度地形図を確認。北山方面は道が良い。西村方面は踏み跡薄く草ボーボーのようだ。
 えいやっ!と西村方面に自転車を向ける。クマの心配は皆無だがマムシが出てこないのを祈るだけだ。
  走り出せば多少の困難さもあるが走れないことはなく、竹林の中を行ったりして面白い。
 やがて作業小屋なんかも出てきたりして人の気配が感じられる頃道はどんどん下り出して、
西村の奥の山間の田畑に出た。
 さあ、ここ西村から利屋へと向かう。ここが今回の核心部か。途中こんな道標に気づく、向かうのは利屋谷というのか。


 この先で地形図にはあるが実際の道がないので迷ってしまった。二股のところを右に行かねばならないのだが、ハンドルにつけたスマホの地図ロイドが示すのは左に進んでしまっているのだ。
 要するに二股の右の道が廃道になっているのか、道が全くないのだ。あるのはミカン畑。

 まあいいかと進んでいくと道標に救われた。


 さらに道は地形図に道がないところをトラバースし始めた。とても自転車に乗っていけるようなところではないので、汗を噴き出させながら押して越える。やがてさきほどはなかった道と地形図上で合流したようだ。
 すると、見覚えのある高峰山への手書きの道標。今回は高峰山はパス。
 このあたりから道は下りになる。目いっぱい下って 再度地形図上の道と重なって大きな農業用水のため池に出る。
 この池の脇から再度上に向かう道があるので使うことにした。電動アシストの威力でずいぶんと思い切ったルート取りが可能になるので買ってよかった。

 コンクリートの湿った舗装道は上まで続き、なんとか旧フォレストパークへの封鎖部分に続く道に上がりきる。
  しばらく走ると南の守り神、増長天の手作り道標が見えた。
 
自転車を置いて、細い急な坂道を上がると増長天に会うことができた。


南の増長天

 木立の合間から風光明媚な伊勢湾が見える。



 ここから利屋まで一気に下る。標高100mぐらいの一気くだりだ。
 利屋から国道247号に出た。町は夏に向けての準備であわただしい。
 名鉄内海駅へ向かう太い道の一本西の道から吹越地区へ向かう。
ここには岡部城という城があったらしい。ピークの小さい広場には城跡の遺構とその説明板がある。




その城跡の奥に西の守り神、広目天が祀られている。


西の広目天
  
 本日の無事を感謝して一礼した。

 ついでにこの広目天を下りた道を北へ向かい、美浜町小野浦のバンガロー村に向かってみた。
 ここからひと山越えて美浜町最高峰老眼山へのアプローチをかんがえてみた。

 しかし今日の四天王のルートを歩いたら老眼山まではヘロヘロで無理かも。


 詳細は以下
南知多町内海四天王 | Garmin Adventures