病室から見た鈴鹿山脈、鎌ヶ岳、御在所岳、雨乞岳・・・・。
いつかまたあの尾根へ。
まずは、簡単な経過を・・・・。
思い起こすに2015年ごろから単独登山でガンガン登るような山で、息も絶え絶えになり途中敗退がちょくちょくあった。
はっきり覚えているのが2016年9月1日単独で小渋川から赤石岳を目指し、広河原小屋で沢装備をデポしてGPSで地形図の破線を確認しながら行くと廃道になっているのか地形図が間違っているのか急斜面のやぶこぎに突入してしまった。何とか尾根上のはっきりした登山道に上がるも標高差350mほど登ったところで息も絶え絶えとなってダウン。
装備はテント泊装備15kgぐらいだろうか。登山道で横になって呼吸を整えるも眠くなってきて、ここで幕営しようかと思うほどだった。
20分ほどで体調が回復したので大聖寺平までの850mの急登をあきらめその日のうちに小渋川を下って帰路に就いた。
次に大きな症状が出たのは2017年4月23日御在所岳中道にて、この日は山岳会の研修山行でスタッフとして参加。ほぼ初心者のチームの仕上げの山行。
最後尾から歩き出すもおばれ岩あたりで付いていけなくなった。スタッフなので休憩を指示して体調を整えだましだまし行こうとするも、キレットを越えるあたりで完全に呼吸困難に陥り先に行ってもらうことにした。またしても眠気が襲ってくる。
15分ぐらいだろうか、登山道の脇で横になって呼吸を整える、行きかう登山者が「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれる。意識はあるので受け答えをするのだが、体がいうことを聞かない。
先行したスタッフの内藤さんが心配して迎えに来てくれた。体調が戻ったのでゆっくり登ってなんとか朝陽台までたどり着くと顔面真っ青でフラフラ状態になっていた。
スタッフに詫びてロープウェイで下山。ロープウェイ駅の乗り場のベンチで爆睡。下山チームと合流して帰名。
このころは高血圧の薬の副作用なんてたかをくくっていたのだが・・・・・。
こういった症状が頻繁になってきたので、おかしいと思う。
6月ごろ喉の奥のほうに重い痛みを感じるので呼吸器内科に通院。血液検査、レントゲンともに異常なし。
喉の下のほうに鈍痛が続く。家の階段を登るのに息切れが出てくる。
2017年7月20日朝、喉が詰まったような重い痛みが出たので仕事場の机に上体をかがみこんでいると吐き気がしてきた。
家の近くに循環器内科が開業したので受診する。
心電図、レントゲンともに異常なしだったが、念のため負荷心電図を取ってみるとのこと、早速午後から自転車のマシンを漕いで心電図を取った。
結果は「心電図の画像に狭心症の症状が出ています・」とのドクターの宣言。市民病院でCTの検査をしてみた都合ではっきりとした病名として狭心症が確信できるというので、早速その医院から予約した。
7月24日、紹介状を書いてもらって持参して市民病院循環器内科外来へ優しそうなドクターに容態を話してCT検査室へ、心臓のCTに使う造影剤は胸から足先までカーッと熱さが移動していってびっくりした。結果を1週間ぐらいで開業医の先生に送るというので、この時点ではそう大変なことになるとは思ってはいなかったのだが。
翌7月25日夕刻、かかりつけの開業医院から電話がかかってくる。たいそう早い電話連絡だったので覚悟してその日のうちに、医院へ話を聞きに行った。
ドクターの宣告が待っていた。
「労作性狭心症です。登山はドクターストップです。」「病院で処置が必要です。入院となるでしょう。」
全身の力が抜けた。その晩のうちに悲しくもすべての登山の計画の中止連絡をした。夏山も研修山行のスタッフも。
調べてみると心筋梗塞に発展することもあり、日本人の死因のガンについで第2位である。
なおかつ登山における3大死因「滑落による外傷」「低体温症」「虚血性心疾患」←コレ ではないか。まさか自分が!の境地だ。
左冠動脈の分岐に狭窄があり、その先にも狭窄があるとのこと。
ドクターも私の年齢とか心臓本体の状況とかいろいろ考えて処置の方法を選択してくれるようだ。
大きな症状はないが、大動脈弁閉鎖不全症も発症が確認された。
7月27日市民病院で妻同伴で正式にCTの結果の話を聞く。カテーテル検査をしてその都合でステントを入れれば入れるとの説明。左冠動脈の分岐なのでステント処置がむつかしいとの説明も受けた。
7月31日朝入院 午後2時からカテーテル検査、右手首動脈からカテーテルを挿入。検査のみで終わった。夕刻ドクターから説明があり、今後の治療方針と次回の入院手術の日程を決める。
7/31夕食
8月1日 退院 結局検査入院で今回は終了。
8月7日 再入院 午後13:30よりカテーテル手術。同じ右手首動脈から挿入。血管内の状況からステントは埋め込まずバルーン治療となった。冠動脈インターベンションというらしい。
心臓を取り巻くように張りついている動脈を内側から風船を使って膨らませて血流を回復させるのだが、膨らませるときは一時的に血流が止まることになるので、狭心症の発作と同じ状態になるのがわかった。要するに喉の奥から胸にかけて重く締められるような痛みが出現して、苦しくなってくる。
手術室の(正確にはアンギオ室)スタッフがバルーンを膨らませている間の秒数をドクターに告げる。10秒、20秒、30秒。将棋の番組のようだ。秒数が進むにつれて苦しさが増す。
「ウウッ、先生、登山中で出た症状と同じです。」局部麻酔なので頭脳は明晰で、全く同じ症状が出たので自分としても狭心症だったと確信した瞬間だった。
狭心症は胸が締め付けられるとか言われるようだが、自分の症状は喉の奥下、胸あたりに鈍痛がでる症状だったのだ。
3~4か所ぐらい膨らませたようで1時間30分ほどで手術は終了。
8/8夕食
大事を取って1日余分に入院した。
8月9日退院。半年間は登山はドクターストップだと宣告された。
手首動脈の傷口 上は1回目の検査時、下は2回目のバルーン処置時、ここから心臓までカテーテルを挿入していった。
現在処方されている薬
バイアスピリン錠100mg
エフィエント錠3.75mg
ランソプラゾールOD錠15mg
アトルバスタチン錠10mg
アジルバ錠20mg
硝酸イソソルビドテープ40mg
半年後に再カテーテル検査するらしい。嫌だけどしょうがない。
人生の転機かもしれない。復活するのか、違う新しい方向で生きがいを見出すのか。まあいろいろ考えたってしかたがないので、少しばかり能動的な行動は慎んで受動的な生き方にシフトしようと思う。
負荷をつけた運動は今は正直怖い。とにかくドクターの指示をしっかり守ろうと思う。
今思えば発症の予兆は何度もあった。病気と付き合いながらの生活をこれからブログで少しずつ自分史としてまとめて行こうかなと思っている。
どうなることやら。
2017年8月9日水曜日
2017年3月3日金曜日
2017/02/25谷川岳
谷川岳遠征は名駅裏のS木屋での作戦会議から始まった。
前年名駅から10人乗りレンタカーを駆使したものの、関越自動車道で東京へと帰宅するスキーヤーの大渋滞に突っ込んで群馬県を抜けるのに3時間もかかってしまい、名古屋到着は0時を過ぎ、解散後の会員の帰宅経路が閉ざされてしまうという名古屋駅での大量遭難というここ数年来ふわくではなかった事態が発生してしまった反省から、往復夜行バスというこれまた思い切ったアクセスを画策してしまうのであった。
作戦会議は2641,3028,3031の3名。ところがバイトの店員の2度にわたる酒の注文ミスで我々としては一番大事な注文にケチがついて、作戦会議もそこそこに店を立った。この時点で某氏は5合を超え、夜行バスのために最後の水一杯で睡眠導入剤を飲まれたようだ。
集合場所に到着するとすでにメンバー全員の顔がそろっている。
挨拶もそこそこにバス乗り場へと向かう。大阪始発群馬行きというマニアックな日本中央バスは三列独立リクライニングシートで毛布付きだった。
金山に停車後某氏は爆睡。3028氏はネックピラー持参で万全の体制である。これは夜行バスには必携品だと思う。
翌朝新前橋に到着。メンバーは全員元気に朝を迎えたようだ。まずは第一関門突破である・・・が、某氏の目が開かない。「飲みすぎだわ!」との声に心配がよぎるがどうも睡眠導入剤の効きすぎだとあとで判明するのである。
新前橋から水上へとJRで向かう。鉄オタの3291氏はしきりに列車の写真を撮っている。向かい側のホームに豪華なお座敷列車が止まっている。珍しいものを見させてもらった。
列車はスキーヤーやボーダーや観光客でほぼ満員状態。水上からのバスに乗れるか心配だったがほとんどが越後湯沢方面へと向かう客だった。某氏はまだ寝ている。
バスもほぼ満員で出発。某氏もこのあたりから復調(ホッ!)3291氏は土合のモグラ駅が気になってしょうがないみたいである。
谷川岳はご存知のとおりギネスブックに載っている山で一山としては世界で最も遭難死者数の多い山である。その数800人の命を飲み込んだ山なのである。(昭和6年~平成24年)
かつてはこの土合の地下駅の階段を何かに取りつかれるように歩いて谷川岳に向かう風景を思うと緊張感が高ぶってくるのだ。
ほとんどが一ノ倉沢あたりのクライミング事故で、戦前あたりの装備技術よりはかなりよくなった結果最近では死者数は激減しているようだ。
特に厳冬期は群馬県谷川岳遭難防止条例により登山禁止区域が設定され、一般登山者の入山は天神尾根と西黒尾根ルートに限られている。
さて前置きが長くなってしまった。
いよいよロープウェイで一気に天神平へ上がる。右手に見える真っ白な谷川岳はトマノ耳、オキノ耳をそろえた双耳峰なのだが、青空輝く背景に山頂だけ真っ白な雲がかかってしまって残念ながら見えない。アイゼンを装着してスキー場の右手斜面を直登する。先行者はいるものの、軽いラッセル状態で先頭を行く。背負ったスノーシューが重い。こんなもの置いておけばよかった(といつも後で思うのだ)
昨年より多雪で4mの積雪の斜面を踏みしめて登る。メンバーの息が上がる。この時点では無風快晴。あぢ~。ヒイヒイ言いながら結局最後までトップで稜線にたどり着いた。
稜線上はアリの行列のように先行者が見えている。さすがに人気の山だ。
稜線上はまだ森林限界を越えていない。1か所いやらしく、悪い状況によってはロープを出さねばならないかなと思っていた地点も今年は多雪で足幅程度のトラバースを数歩で越えられた。
メンバー全員快調に歩く。今回は動画作成ということで監督があっち行ったりこっち行ったりでその都度カメラ目線になったりして笑い声が飛び交う。
行程は熊穴沢避難小屋に到着した。4mの積雪は小屋を埋め尽くし屋根上のまっすぐ伸びた鉄骨だけが数十センチ見えるだけだ。入口へと掘られた穴があるがそこへはやはり4mほど。「下りるが上がれん」そう呟きながら雪深さに改めて驚くのだ。
ここで全員にピッケル装備を告げる。尾根はさほど狭くはないが転倒したはずみで持っていかれる可能性がある。安全第一だ。
風が強くなってきた。バラクラバを鼻まであげる。天神平とは打って変わった気候になってきた。雪もちらついてきた。急登急登でペースが上がらない。その分1団となってパーティーとしては良いといえば良いのだが、いかんせんペースが上がらない。
ロープウェイ最終発車時刻16:30天神平がタイムリミットなのでそれが気になりだした。上を見上げるもいまだ山頂は雲の中、肩の小屋さえ見えない。急登ホワイトアウト気味の同じような景色をただ単に両足を交互に上にあげる動作の繰り返しになってきた。スノーシューなんかおいてこればよかった。何回思ったことか。
天狗岩の岩塊が見えてきた。先行パーティーが休憩している。時計を見ると11:30。肩の小屋まで行きたかったのだが先行パーティーにつられる形でここで昼食とした。
天狗岩の陰に隠れる形で風をよける。手袋等風で飛ばされたらアウトだ。そういえば最近巷で流行のテムレスをはめている人もいる。デザインがもう少し良ければもっと売れるだろうがまさかメーカーも登山で使うとは思っていなかったのだろう。
寒い!休憩が長引くと冷えるので食事もそこそこに出発する。厳冬期は基本行動食というやつです。
肩の小屋が見えた。雪が多すぎて下から見えなかったようだ。側面にたっぷり雪や氷がついている反対側の側面は風で吹き飛ばされるのか雪はほとんどない。ここまで来ればトマノ耳はいただいたようなものである。
一か所クレバス状に雪面が割れたところを横断する。ずぼっと行くと数メートルは落ちそうな感じで緊張した。はまっちゃった人数人。私の体重で歩いたところを歩けばいいのにほかのところを歩くからこういうことになるのだ。
それにしても展望が効かない。ここからが谷川岳のクライマックスの景色なのに・・・。
広い斜面を上がるとトマノ耳の標柱。ここでとりあえずはメンバーと握手&ハイタッチ。
さて、ここからオキノ耳へと向かう。トマノ耳~オキノ耳は雪庇の発達で有名。この景色を見るために登るようなものである。今日はというと雪庇すら見えないほどの真っ白け。東側に雪庇があるので寄りすぎないように、岩塊を巻いたり越えたりして15分ほどでオキノ耳に到着。
ここからトマノ耳を振り返る景色がよく雑誌にも載る景色なのだが残念だなぁと思っているとほんの2秒ほどトマノ耳までの巨大な雪庇を携えた稜線が姿を現してくれた。シャッターチャンスもないまま、夢のような幻影とも思えるような景色を目に焼き付けて下山を開始。
マナイタグラ、白毛門、武尊山、新潟方面の白く輝く山々を堪能して、こんな急登を登っていたのだと感心しながらガンガン下って天神平に15:30到着。
バスで水上へ戻り公設の風呂屋で温泉に浸る。寂れかかった温泉街の中華料理屋「雪松」でふわく恒例の反省会
ビール、料理、散々飲み食いして盛り上がり、ほとんどバイキング状態でおひとり様1500円。絶対会計間違ってるとおもいつつ、全員ニコニコでJRにて新前橋へ。
再び夜行バスに乗車。気が付けば「名古屋に到着します」のアナウンスで目が覚めた。
山頂での展望には恵まれなかったものの、すばらしきメンバーに恵まれ無事谷川岳に弾丸登頂することができました。ありがとうございました。
部長さんの粋な計らいにより動画も作成していただき、2度3度楽しめる山行になりました。重ねてお礼申し上げます。
さて、来年の谷川岳のニーズはあるのだろうか?
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